ある種の天才
源氏を読みつつ、「紫式部は天才だっ!」と思ったのであった。
そもそも、この物語は、式部が仕える天皇や中宮などに話して聞かせて教育するために作られたのだそうだ。
そして、これは「源氏の物語」。天皇の子として生まれ、皇位継承争いから外れて天皇の臣下になった「源氏」の物語なのだそうだ。
そうした背景があると思って読むと、『うまいことこしらえるなぁ。』と感心したりする。
「こういう時は、こうこうこういう風に立居振舞うのですよ。」などと言われても、説教臭くて頭に入って来ないものだが、面白い物語の中に組み込まれていると、「情」を介してストンと腹に入ってくるものだ。
一方、現代に生きる人間にとっては『ん?』と思える箇所もあったりするが・・・
天皇制をどう考えるか・・・
身分制度の是非・・・
そういう事は近代民主主義社会以降の政治思想、社会の問題で、源氏物語の世界は平安京の時代。
そして、文学という範疇の世界。
現代の人間が、今自分のいる時代と世界に引き寄せて考えると、大きく誤るのだろう。
無論、底辺にある「人間の情」というものは、古今東西共通するものがあろうが。
源氏を読み終わった後、読みかけの「万葉集」をまた読み始めた。
そして、こんな歌を見つけた。
・・・
山背の くにの都は 春されば 花咲きををり
秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる
泉の川の 上つ瀬に 打橋わたし
淀瀬には 浮橋わたし
あり通ひ 仕へつらむ 万代までに
・・・
天平時代の久邇京を歌ったものだが、薫と浮舟のお話を連想してしまった。
薫にせよ、光にせよ、「ただお目当ての女をものにすれば、それで良し」的な恋のハンターではないのだ。
「あり通ひ 仕へつらむ 万代までに」の心意気がある。
ま、末摘花の場合、「あり通ひ」もあまりなさそうな・・・
それでも光が、お世話申し上げたくなる末摘花。
むむむ・・・
究極のイケイケって、こういう女性なのか。
紫式部の胸の内では。