うくひすのこほれる涙

読書おぼえがき

末摘花の装い

だいぶん寒くなってきた今日この頃、いよいよ白鳥の声が聞かれるようになった。 薄手の上着は衣装ケースの中にしまいこみ、ニットや厚手のものをタンスの取り出しやすい所に収納すれば・・・ 『紅葉はまだでも、いよいよ秋本番』な感じがしてくるものだ。 さて、「紅葉」といえば、源氏の末摘花のお鼻を思い出す。 末摘花の特徴と言えば、「普賢菩薩の乗り物と覚ゆ」ようなそのお鼻、ばかりではない。 装いも相当個性的なのであった。 「ゆるし色の理なう上白みたる一襲、名残なう黒き袿重ねて、上着には黒貂の皮衣、いと清らにかうばしきを着給へり。」 この一文を読んで、こう思ったのであった。 『黒貂の皮衣???』 現代語訳を見ると、「セーブルコート」とある。 「セーブルコート」なるものが、いかなるものか、私は知らんが・・・ 「貂」というのを漢字典でひいてみると、テンの如き獣だそうで・・・ と、いうことは・・・ 末摘花は・・・ 「プラダを着た悪魔」ならぬ、「毛皮を着た普賢菩薩の乗り物」。 平安時代から、和装で女性用の毛皮のコートがあったとはっ! シーラ E も、毛皮のマリーもびっくりざ〜んすっ。

もののけの正体

源氏では、やたら「もののけ」の話が出てくる。

 

もののけ」にとらわれて、病になったり、挙げ句は命までも失ってしまったり。

 

もののけ」によって、現代で言えば、精神疾患のようになってしまう人の多いこと多いこと。

 

無論、源氏はフィクションではあるけれども・・・

昔から、心の病にとらわれてしまう人は多かったのかもしれないなぁ・・・

とも、思うのだった。

 

心のストレスが、やがて体にさわるようになる、というのは、今でもよく聞く話である。

 

まして、平安の都の貴族社会なぞ、究極のムラ社会だから、気疲れすることは上層階級ほど多かったやもしれぬ。

 

 

 

ところで、今年の春から「もののけ」ならぬ「四十肩」なるものに悩まされた私は、それにきくものはないかと、いろいろ健康本を見て実戦してきている。

 

『これはきく!』と思った本が、これ。

「弱ったからだがよみがえる人体力学」と「弱ったカラダが復活する真呼吸ストレッチ」。

各々違う著者なのだが、基本はこういうことだと思う。

前傾姿勢など悪い姿勢が恒常化すると、深い呼吸が出来なくなる。

深い呼吸が出来なくなると、心身のバランスが崩れ病になり、さらにストレスが増し、姿勢も崩れ酸欠状態になり・・・という悪循環に陥る。

 

なんでもやってみるものである。

こうした本のおかげで、「四十肩」は、かなり改善してきた(腕が上がるようになるくらいは一週間くらいで治った)。

同じ悩みを抱えた方には、おすすめ本である。

 

元々体は柔らかい方で、小学生の時、ヨガにはまって難しいポーズでも出来たくらいだったが、年を重ねて行くと、知らず同じような姿勢でいることが多くなる。

 

仕事にせよ家事にせよ勉強にせよ、社会生活を送る大人の姿勢というのは、どうしても前傾姿勢であることが多くなってしまう。

そして、それが体のクセになり、どんどん固まっていって、ある日、四十肩だの五十肩だの、ぎっくり腰だの内臓疾患だの、いろんな病となって結果に現れてくる。

 

近頃の若者の心の病と姿勢というのにも関係がありそうに思える。

スマホやパソコンやらの画面に我を忘れて夢中になっている若者って多いが、これでは姿勢は悪くなるし、深い呼吸なぞ出来なかろう。自律神経が乱れるのは、自然のなりゆきとも見える。

 

 

 

さて、本屋で「四十肩」本をいろいろ見ていると、こんなことを書いてる本もあった。

その昔、今のような医療技術がない時代、「四十肩」というのは「死」を意味する病だったのだそうな。

 

たしかに、自分で経験してみて実感したのだが、ある日、それまで上がっていた肩が上がらなくなるというのは、一種の恐怖だ。

『一体どうなってしまったのか?ワテの体はっ!』と、それまでに無い感覚に驚くのである。

当然のように出来ていた日常的な事柄に支障が出るのだから、そこから「人生の終わり」を予感するのは、さもありなん、である。

 

 

それに、平安貴族のあの衣装では・・・

特に女性の場合、前傾姿勢しか取れなかろうし、なにせ、重そうだし、肩や背筋、腰には、過負担だ。

おまけに同じ姿勢でじーっとおしとやかにしていれば、筋力は嫌でも下がる。

背筋を伸ばし、胸を張って深い呼吸をするなんて、ほんの若い間だけになってしまいそうだ。

これでは、心身のバランスを崩して、「もののけ」を呼び込んでも仕方なかろう。

 

というか・・・

 

悪い姿勢こそが、「もののけ」ではあるまいか。

食の大事

平安時代の貴族は、一日二食だったそうな。

 

 

 

平安貴族ではない私も、いつからか忘れたが、一日二食を基本にしている。

 

別に、ダイエットして痩せたい訳ではない。

 

単に、一日三食とると、かえって疲れるのだ。

 

たぶん、老化現象なんだろう。

 

若い頃なら、一日四食だったり、昼食と夕食は二人前食べてたりしたのだが・・・。

 

 

 

 

さて、成長期の子供ならまだしも・・・

 

一日三食が当たり前になったのは、一体いつからなんだろう?

 

たとえ平安時代であっても、職種や家、地域によっては、一日三食というのもありそうな気がするが・・・。

 

一日二食が当たり前になってる私でも、肉体労働の多い日は、三食とらないと体が「ガス欠」状態になったりするものだし。

 

 

 

 

ちなみに、ドイツの諺には、一日三食とるのは医者を儲けさせるだけ、という内容のものがある。

 

見た目を気にしてのダイエットなり少食なりではない、少食の効能というものを、洋の東西を問わず「近代化」以前の人々は経験則から知っていたのかもなぁ。

ある意味、うらやましい

秋といえば、「読書の秋」である。

 

万葉集を読んでいると、ふと、謎に思ったりした。

 

『万葉の人々の生活は、いったいどんなだったろう?』と。

 

そして、その種の本を手にしてみることに・・・

(いつも、こんな風にして次に読みたい本が決まっていくのだ。)

 

『きっと、現代よりも、ずっと原始的で、良くも悪くも自然に左右された生活だったんだろうなぁ。』などと思いつつ、手にした本は「万葉集を知る事典」である。

 

この本に書かれている万葉の時代に起きた数々の「○○の変」という歴史的事件は、それはそれで興味深いのだが・・・

 

やはり、今のシーズンに気持ちは引っ張られるのであろうか。

 

注目したのは、「万葉びとの生活と文化」という項目中にある「食の生活」。

(この季節、「食欲の秋」でもありますからね。)

 

本によれば、万葉びとの主食は、米、麦、粟、黍、豆の五穀だが、しかし、庶民の主食は、麦、粟、黍、稗、ソバといった雑穀だったそうな。

 

いつぞやのローカルニュースで、地元の小学生達が江戸時代の農民の食文化を体験したイベントを放送していたが、そこでは、当時の農民は白い米が食べられず、雑穀の類いしか食せなかったそうで、そのメニューを試食してみた小学生が、その当時の人々をかわいそうだと憐れんでいたのを思い出した。

 

しかし、反面、今の時代からすれば贅沢なメニューにも映る。

 

いつからか、健康のために、いろいろ食生活を見直してきている私なのだが、主食として、白飯や市販されている白い食パンという物ばかり食べるのは、あまり体に良くないというのを、なにかの本で知って以来、時々雑穀を買ったりしてる。

 

まさに、万葉の庶民が食していた黍とか粟とか稗とか麦が入ったものだが・・・

 

値段が、お高いっ!

 

それと似た物として思い浮かべるのは、インコとかジュウシマツに与える鳥の餌だったりするが・・・

 

そっちのほうが、はるかに安いんじゃないかっ?・・・っていう。。。

 

むか〜しむかし、桃太郎が犬猿キジにあげたキビダンゴだが、今じゃ、結構な贅沢品かもしれん。

 

物の価値って、変わるよなぁ。。。

笑い事ではないが

最近、某デザインのパクリ問題がとかく言われている。

 

絵画なら模写というものがあり、書道なら臨書というものがある。

アナログな、技量を問う世界であり、それはそれで作品として成立している。

 

 

 

そして、どんな芸術作品も、自分が作る以前の作品にインスピレーションを受けて、あえて、それと分かる引用をしたりもする。

 

その過程で、作り手の解釈が入り、一見似たような形を取り入れながらも、違う作品に仕上げる・・・そこにオリジナリティーがあるのだろう。

 

だから、純粋まったくのオリジナリティーというのは、かなり稀なことになる。

 

だからこそ、斬新なものに対して、ある人は非常に感心もする一方、どこか見慣れたものに安心感を覚えがちな人間の習性から、ある人にとっては「理解不能」であったりもする。

 

 

 

デジタル化で機械的に作品を作れるようになると、どうしても似通ってくるものだとも思う。

 

例えば、一本の同じ銘柄のビール瓶を十人に写生させれば、モデルとなるビール瓶は同じでも、十通りの違う絵になる。

 

絵画の模写にせよ、書の臨書にせよ、写す対象は同じでも描き手や書き手によって、やはり違ってくるものだ。

 

そして、描き手や書き手同士長いつきあいなら、誰がどれを描いたか書いたか、分かってきたりもする。

 

今回浮上した問題は、デジタル化ゆえに発生したとも言えそうだ。

 

 

しかし、作り手側に回ったことのある人ならば、一度でもオリジナリティーというものと向かい合ったことのある人ならば、やはり、今回の件は「おや?」と思わないでもないのではないだろうか。

 

事は、小学生や中学生の美術作品の話ではないし、美大生の間で起きた事でもない。

 

作者は、その世界のプロであり、作品は、一国家の大イベントに絡んだものだ。

 

また、そうであるならば、訴訟がらみになる前に、事務方で素早く対応すべきであったろう。

 

そもそも、それほど複雑でない幾何学的な模様であれば、類似したものは多くこの世に存在しそうなことには察しがつくだろうし、知的財産権が重要な位置を占めるようになった今日、選考する側、事務方の脇が甘過ぎるようにも思えてならない。

 

 

そして、なにより、日本のオリンピックならば、もう少し日本らしさを感じさせるようなデザインを選ぶべきではなかろうか。

 

かな文字を入れるとか。

 

これぞ、日本のオリジナルだと思うのだが。

 

まったく、最近の右の方々こそ、日本の文化をお勉強すべきであるっ。

 

保守本流

 

笑わせる。

平安の色から

建礼門院右京大夫集」を読み終わって、「源氏物語」を読んでみようと思ったのには、ワケがある。

 

無論、日本が世界にほこる古典文学といえば、源氏、だし、それを読んでおかねばっ、というのもあったが。

 

建礼門院右京大夫集」には、源氏についての知識が前提になっている部分もある。

 

それは、文芸に限らず、絵画その他、古くからある分野では、よくあることだ。

 

現時点より前の時代の事柄を知っていて当然、で作られている。

 

で、「建礼門院右京大夫集」で一番気になり、一番分かり難いのが衣装の説明だった。

 

古語辞典などには、昔の日本の色見本のようなページがあったりするけれども、これが、ただポスターカラーでべた塗りしただけの色見本のようなもので、さっぱりイメージしにくい。

 

そこで、何かないかと探した所、やはり同じようなところに興味のわく人は、世の中にはいるもんだ。

 

にんげんだもの。

 

源氏物語色辞典」なる本を見つけた。

 

その帯に書かれている宣伝文句が以下。

 

「『源氏』千年の色彩がいま甦る

五十四帖に描かれた襲の色目を完全再現

平安の夢368の色布総覧」

 

源氏に出てくる衣装の色を、実際に布に染めて再現した人の著作なのだ。

 

いやあ、労作とは、このことだ。

 

どんだけ手間ひまかかることやら。

 

衣装の反物だけでなく、例えば、「朝顔」に出てくる鈍色の御簾が再現されていたり、絹だけではなく、「藤衣」も再現されている。

 

 

 

 

私は、子供の頃から喪服について、謎に思っていたことがある。

 

普通、喪服として黒い衣装が着られることが多いと思うのだが・・・

 

私の子供時代に父が亡くなったのだが、その時に私に着せられた服が、黒ではなかったのだ。

 

ある方の解説によれば、大半の日本人が喪服として黒を着用するのが当たり前になったのは、明治以降なのだそうな。

 

近代国家づくりの一環で、葬儀にも西洋の様式に合わせる必要があったのだそうな。

 

それで、葬儀に着る衣装が黒に。

 

しかし、今でも古のあり方を受け継いで守っている地域もあるそうな。

 

たぶん、あの葬儀の時、母は、父の故郷のしきたりに合わせて、あえて私に黒ではない服を着せたのかも知れない。

 

なにせ古くさいところだから。

 

「藤衣」の説明と写真を見て、昔からの謎が氷解したのであった。

 

 

 

ところで、この種の日本の古典に出てくる衣装やらを探っていくと、近年流行した韓流ドラマの時代劇の場面を連想したりする。

 

その昔、環太平洋ならぬ、環日本海文化というものが隆盛したというのも、『なるほどな』と思えてくる。

 

日本最古の神社の形態と、朝鮮半島の古代の神社の形態と似通っているらしいが・・・